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院長のとっておきの話 その38 「舌小帯短縮症」の手術、本当に必要? 歯科専門家が解説する意外と知られていない5つの新事実

はじめに:急増する「舌小帯」の悩み

近年、赤ちゃんの「舌小帯短縮症(ぜつしょうたいたんしゅくしょう)」、いわゆる「舌が短い」状態について心配される保護者の方が増えています。「母乳がうまく飲めないのは、この子の舌が短いからではないか?」という相談を毎日のように受けます。そして多くの場合、舌小帯を切る簡単な手術(舌小帯切開術)が、すぐに問題を解決してくれる特効薬のように考えられています。

しかし、この問題は見た目以上に複雑です。私たち専門家の間では、手術が本当に必要なケースは限られているのではないか、という議論が活発に行われています。最新の科学的研究からは、これまで一般的に信じられてきたこととは異なる、驚くべき事実が次々と明らかになっています。

この記事では、保護者の皆様がより深く理解し、納得のいく判断を下せるよう、科学的根拠に基づいた「5つの重要な新事実」を分かりやすく解説します。
1. 驚きの事実:手術が母乳育児の成功を保証するわけではない
舌小帯の手術を検討する最も一般的な理由は、母乳育児の困難です。しかし、「手術さえすれば、母乳育児がうまくいく」と考えるのは早計かもしれません。
2,500組以上の母子を対象としたポルトガルの大規模な研究では、驚くべきことに、舌小帯短縮症の診断や手術の有無と、生後6ヶ月間の完全母乳育児の成功率との間に、統計的に意味のある関連は見られませんでした。
では、何が母乳育児の成功に本当に重要なのでしょうか?同研究では、手術よりも以下の要因がはるかに重要であることが示されました。
- 出産直後の母親と赤ちゃんの肌と肌の触れ合い(スキン・トゥ・スキン・コンタクト)
- 産科病棟での授乳サポート
- 生後1時間以内の早期授乳開始
これは非常に重要な視点です。手術は舌の「形」という解剖学的な問題に対処するかもしれませんが、長期的な母乳育児の成功には、出産直後からの包括的なサポート体制や適切な授乳習慣の確立が何よりも大切であることを示唆しています。問題の解決策は、手術という点だけにあるのではなく、もっと広い視野で捉える必要があるのです。
2. 長期的な影響:赤ちゃんの顔の形、歯並び、睡眠中の呼吸にまで関わる可能性
舌小帯短縮症の影響は、赤ちゃんの哺乳問題だけにとどまりません。実は、歯科専門家が最も懸念しているのは、その長期的な影響です。舌の動きが制限されると、舌が常に低い位置(低位舌)にとどまってしまいます。この状態が、顎や顔の正常な発育を妨げる可能性があるのです。

具体的には、以下のような問題につながるリスクが指摘されています。
- 上顎が狭くなる(狭窄した上顎)
- 下顎が後退する(後退した下顎)
- 将来の歯並びの問題(不正咬合、特に受け口や開咬)
- 小児睡眠時呼吸障害(SDB)のリスク因子になること
舌は、上顎の成長を内側から支える「天然の矯正装置」のような役割を果たしています。舌が正しく上顎に収まっていないと、この成長の力が加わらず、上顎が狭くなり、結果として歯が並ぶスペースが不足したり、気道が狭くなったりするのです。

しかし、希望の持てる研究結果もあります。ある研究では、舌小帯の手術と、その後の舌の機能を鍛えるリハビリ(口腔筋機能療法)を組み合わせたところ、上顎の幅(特に犬歯間の幅)が有意に拡大したことが報告されました。これは、舌の機能を回復させることが、顔の健やかな成長を促す上で非常に重要であることを示しています。歯科的な観点から見れば、これは単なる授乳の問題ではなく、子どもの一生の口の健康、そして呼吸の健康に関わる重要な課題なのです。
3. 専門家の新たな視点:手術の前に「機能」の評価が不可欠

近年、舌小帯の手術件数は世界的に急増しており、専門家の間では「過剰治療」への懸念が高まっています。見た目だけで「舌が短い」と判断し、安易に手術を選択してしまうケースが少なくないのです。

こうした状況を受け、米国の先進的な医療機関では、治療方針を大きく転換する「パラダイムシフトモデル」が導入されています。このモデルでは、外科的な手術を検討する前に、まず言語聴覚士(SLP)や認定ラクテーションコンサルタント(CLC)といった摂食機能の専門家による、包括的な機能評価を最優先します。
その結果は驚くべきものでした。このモデルを導入したことで、舌小帯の手術率は45.4%から17.7%へと劇的に減少したのです。
この事実は、舌小帯が原因と思われていた哺乳の問題の多くが、実は他の要因(抱き方、吸い方、筋肉の協調性の問題など)に起因しており、専門的な哺乳指導やリハビリといった非外科的なアプローチで解決できることを示しています。これからの標準的な考え方は、「形」だけでなく、まず「機能」を正しく評価することです。
4. 赤ちゃんだけの問題ではない:発音や滑舌への影響

舌小帯による機能的な制限は、乳児期を過ぎても残り、発音や滑舌に影響を及ぼすことがあります。
ある20歳の女性のケーススタディでは、舌の動きが制限されていたために「s, t, d, j, n, ch, th, zh」といった特定の発音が困難でした。彼女は舌小帯の手術後、発音の明瞭さが改善したと報告しています。
また、10歳の患者を対象とした別の研究では、手術後に舌の動きや音響特性が変化し、特に「ら行」のような舌先を使う音の物理的な生成に良い影響があったことが、機器による分析で確認されました。
これらの例が示すように、未解決の舌小帯は、成長してからもコミュニケーションに長期的な影響を与える可能性があり、子ども、そして時には大人にとっても重要な問題となり得るのです。
5. 手術だけでは終わらない:「リハビリ」の重要性
もし手術が最適な選択肢だと判断された場合でも、「手術をすればすべて終わり」ではありません。むしろ、そこが新しいスタート地点です。
前述の研究で、上顎の幅に顕著な改善が見られたのは、レーザーによる手術と、その後の口腔筋機能療法(舌のリハビリ)の両方を受けたグループであったことを思い出してください。手術単独では、ここまでの効果は期待できなかったかもしれません。
手術後のリハビリは、固まっていた筋肉を再教育し、正しい動きを学習させ、後戻りを防ぐために不可欠です。ある症例報告でも、患者は手術後に特定の舌のエクササイズを行うよう指導されています。具体的には、次のような運動です。
- 舌の先を鼻やあごに近づける動き
- 唇の周りをなめるような円運動
- 舌で口蓋(上あご)を強く押す運動
手術によって解放された舌が、その新しい自由な状態で正しく機能することを学ぶためには、このようなリハビリが極めて重要です。特に、顔の成長や発音といった長期的な機能を最大限に引き出すためには、手術とリハビリは常にセットで考えるべきです。
結論:全体的な視点で考える舌小帯短縮症
舌小帯短縮症は、多くの要因が絡み合う複雑な状態であり、手術という決断は決して軽々しく下すべきではありません。

現代の科学的根拠に基づいたアプローチは、単に舌の見た目だけで判断するのではなく、まず摂食・嚥下の専門家チームによる包括的な「機能」評価を行うことを重視します。そして、顎の成長や発音といった長期的な影響を考慮に入れ、手術を行う場合には術後のリハビリの重要性を認識することが不可欠です。

もしあなたがお子様の哺乳、発音、あるいはお口の癖について心配なことがあるなら、単に舌の「見た目」だけを診るのではなく、その「機能」を深く理解してくれる専門家に相談することが、正しい解決策への鍵となります。

【動画で知りたい方はこちら↓】(一部読み方がおかしい部分がありますが内容は正確です)
