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院長のとっておきの話 その91 その神経、抜かなくていいかも?虫歯治療の常識を変える5つの新事実

はじめに:「神経を抜きましょう」という診断の恐怖

歯科医院で「虫歯が深くて神経まで達していますね。神経を抜く治療(根管治療)が必要です」と告げられたとき、多くの患者さんの心は不安でいっぱいになります。「歯の神経を抜く」という言葉は、痛みを伴う複雑な治療や、歯がもろくなってしまう未来を連想させるからです。長年、深い虫歯の治療法は、神経をすべて取り除く根管治療が唯一の選択肢だと考えられてきました。

しかし、もし重度の虫歯であっても、歯の神経(歯髄)を生きたまま救う方法があるとしたらどうでしょうか? 近年、歯科医療の進歩により、「歯髄保存療法(Vital Pulp Therapy)」という、より低侵襲で生物学的なアプローチが注目を集めています。この方法は、深い虫歯治療の常識を覆しつつあります。
この記事では、最新の科学的研究から明らかになった、患者さんが知っておくべき5つの驚くべき事実をご紹介します。
1: 「不可逆性歯髄炎」は、もはや神経の死刑宣告ではない
従来、何もしなくてもズキズキ痛む、あるいは痛みが長く続くといった症状がある「不可逆性歯髄炎」と診断されると、歯髄は回復不可能なダメージを受けたと判断され、根管治療が必須とされてきました。これは、患者にとって「神経の死刑宣告」とも言えるものでした。


しかし、最新の系統的レビュー(複数の質の高い研究を分析した報告)によれば、この常識は変わりつつあります。「部分的歯髄切除術(Partial Pulpotomy)」という方法を用いれば、不可逆性歯髄炎と診断された歯でも、高い成功率で神経を保存できることが示されたのです。この治療法は、炎症を起こしている歯髄の一部だけを取り除き、健康な部分はそのまま残すというものです。この治療が可能になった最大の理由の一つが、次に紹介する「魔法のセメント」の登場です。
これは歯科治療における大きなパラダイムシフトです。これまで根管治療しか選択肢がなかった多くの歯が、神経を生かしたまま保存できる可能性が出てきたことを意味します。これは、Abdelkhader氏やRiandani氏らが行った近年の研究でも示されている、より身体に優しく、歯の寿命を延ばすための保守的なアプローチと言えるでしょう。
2: 治療の成否を分ける「魔法のセメント」の存在
歯髄保存療法の成功は、残された健康な歯髄を覆うために使用される材料(セメント)に大きく左右されます。材料の進化こそが、この治療法を成功に導く鍵となっているのです。

- 従来の水酸化カルシウム (Conventional Calcium Hydroxide): これは古くから使われてきた伝統的な材料ですが、近年の非常に信頼性の高い研究報告(系統的レビュー)によると、成人における成功率はわずか34.3%でした。(保険医療)
- 新しいバイオセラミック材料 (New Bioceramic Materials): MTAやバイオデンティンといった現代の材料(三カルシウムケイ酸塩系材料)を使用した場合、成功率は劇的に向上し、86.8%に達しました。これは、従来法と比べて成功率に52.5%もの差があることを示しています。(自由診療)

さらに、Riandani氏らの研究によれば、他のバイオセラミック材料も84.6%~100%という非常に高い成功率を示し、歯を変色させないという利点もあります。

この事実は、現代の歯科医療で使われる材料が、かつてないほど高い予測性をもって歯の神経を救うことを可能にしている、という力強い証拠です。
3: 最終的な詰め物は「時間との勝負」
歯髄保存療法の後、「とりあえず仮の詰め物をしているので、しばらくは大丈夫」と考えてしまうのはよくある誤解です。実は、最終的な詰め物(修復物)をいつ装着するかは、治療の成否に直結する極めて重要な要素です。
Abdelkhader氏らの研究では、治療後すぐに最終的な詰め物を装着した場合の成功率が89.9%であったのに対し、装着が遅れるほど成功率は著しく低下することが報告されています。
この研究のメタ回帰分析では、次のような結論が示されています。
“メタ回帰分析により、三ケイ酸カルシウムの使用は成功率を37%増加させ(P = 0.0002)、一方、1日ごとの遅延は成功率を0.088低下させることが示された(P = 0.023)。”
これを分かりやすく言い換えると、分析の結果、バイオセラミック材料の使用は成功率を大きく高める一方で、最終的な詰め物の装着が1日遅れるごとに、治療の成功率がわずかながら着実に低下していくことが示された、ということです。このデータは、治療後のフォローアップ予約を迅速に行うことが、いかに重要であるかを明確に示しています。
4: 治療はより「低侵襲」に。削りすぎないのが新常識
歯髄切除術には、歯冠部(歯の頭の部分)の歯髄を一部分だけ取り除く「部分的歯髄切除術」と、歯冠部の歯髄をすべて取り除く「全部歯髄切除術」があります。直感的には、より広範囲に歯髄を取り除く方が確実だと感じるかもしれません。
しかし、Abdelkhader氏らのメタ分析が明らかにしたのは、意外な事実でした。部分的歯髄切除術と全部歯髄切除術の間で、治療の成功率に有意な差は見られなかったのです。
これが患者にとってなぜ重要なのでしょうか? それは、歯科医師が可能な限り保守的な治療、つまり「健康な組織を最大限に残す」アプローチを選択するための科学的な裏付けとなるからです。特に、2で紹介したバイオセラミック材料の高い治癒能力が、より少ない範囲の切除(部分的歯髄切除術)でも十分な成功率を担保することを可能にしました。必要以上に歯髄や歯質を削ることなく、最小限の介入で歯の生命力を温存する。これこそが、現代の低侵襲治療の考え方です。
【保護者の皆様へ】お子様の生えたての永久歯を守るために
ここまでは主に成人の歯について話してきましたが、歯髄保存療法は特に子どもたちにとって非常に大きな意味を持ちます。特に、6歳前後で生えてくる最初の永久歯(第一大臼歯)のような、まだ根が完成していない「未熟な」永久歯には極めて重要です。
なぜなら、この治療法は歯髄の生命力を保つことで、歯の根が成長を続け、成熟するのを助ける(歯根完成=アペキソジェネーシスと呼ばれるプロセス)からです。もしこの時期に根管治療で神経を抜いてしまうと、根の成長は止まり、歯は弱く、もろくなってしまいます。
ALAGOZ氏とDERELIOĞLU氏による研究では、7歳から10歳の子どもたちの可逆性歯髄炎と診断された未熟な永久歯に対して、MTAを用いた直接覆髄法と歯髄切除術の両方が90%を超える非常に高い成功率を示したことが報告されています。そして重要なことに、これらの治療は歯の根の継続的な成長を確実にサポートしたのです。お子様の歯の健康な未来を守るために、この治療法は非常に価値のある選択肢と言えます。
歯科医師に相談する前のチェックリスト
この記事で得た知識をもとに、ご自身の治療について歯科医師とより深く話し合うために、以下の質問を参考にしてみてください。

- 「私の虫歯の状態は、神経を残せる可能性がある『歯髄保存療法』の対象になりますか?」
- 「もし歯髄保存療法を行う場合、MTAやバイオセラミックのような成功率の高い材料を使用することは可能でしょうか?」
- 「治療が終わった後、最終的な詰め物はいつ頃入れるのがベストでしょうか?スケジュールについて相談させてください。」

結論:自分の歯を一生涯、健康に保つために

材料の革新と技術の進歩により、現代の歯科医療は、深い虫歯に侵された歯であっても、その生命力(歯髄の活力)を救うための強力な手段を手に入れました。これは、かつてのように自動的に根管治療が選択されていた時代からの大きな前進です。

もし深い虫歯が見つかっても、すぐに諦める必要はないのかもしれません。あなたの歯の「生命力」を最大限に残す方法について、かかりつけの歯科医師に相談してみてはいかがでしょうか?
※「MTA」は日本の保険医療の歯髄保護治療では適用されません。

【動画で知りたい方はこちら↓】(一部読み方がおかしい部分がありますが内容は正確です)
以下は医療従事者向けです。
