院長のとっておきの話

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院長のとっておきの話 その114 義歯安定剤の話を、歯科の外から書きます

義歯安定剤の話を、歯科の外から書きます

歯科の話をします。ただし、これから出てくる文献は、ほとんどが神経内科と血液内科のものです。

■ きっかけは、まったく別の調べものでした

亜鉛のサプリメントについて調べていたときのことです。亜鉛を摂りすぎると銅が欠乏する、という現象があります。その症例をまとめた系統的レビューを読んでいたら、曝露源の一覧に見慣れないものが入っていました。

経口サプリメント、硬貨の誤飲、そして義歯安定剤。★3[1]

歯科の人間として、これは知らないでは済まされないと思い、調べ直しました。

■ 義歯安定剤に亜鉛が入っていた理由

義歯安定剤のクリームタイプには、粘着性を高める目的で亜鉛の塩が使われてきました。

2008年、米国の神経内科グループが、原因のはっきりしない神経障害と、低銅血症・高亜鉛血症を示した4名の患者を報告しています。4名に共通していたのは、義歯を使用しており、義歯安定剤を長期にわたって大量に使っていたことでした。

この研究者らが実際に製品を分析したところ、亜鉛濃度は1グラムあたり17,000から34,000マイクログラムでした。1グラムあたり17ミリグラムから34ミリグラム、と読み替えられます。★2[2]

日本人の食事摂取基準(2025年版)では、亜鉛の1日の推奨量は30歳から64歳の男性で9.5ミリグラム、同年代の女性で8.0ミリグラムです。[5] 安定剤は飲み込むものではありませんが、口の中で少しずつ溶けて、唾液とともに嚥下されます。1グラムという量がどれだけのものか、想像していただければと思います。

■ 何が起きるのか

亜鉛が過剰になると、腸管で銅の吸収が阻害されます。銅が欠乏すると、貧血、白血球減少、そして脊髄の障害が起こります。

銅欠乏性脊髄症について、116研究198症例をまとめた2024年の系統的レビューがあります。平均年齢は53.6歳、63.8パーセントが女性。原因の第1位は胃の手術の既往で36.2パーセント、第2位が亜鉛を含む義歯安定剤の使用で、39例、19.9パーセントでした。★3[3]

血清銅の平均値は1デシリットルあたり15.7マイクログラム、セルロプラスミンは6.4ミリグラムと、いずれも基準値を大きく下回っていました。

問題はここからです。銅を補充する治療を行っても、神経症状の改善が報告されたのは24パーセント、元の状態まで回復したのは5.1パーセントにとどまりました。

フランスからの2症例の報告でも、安定剤の使用を中止して銅を補充したところ、汎血球減少と痛みは改善しましたが、歩行障害は残ったとされています。★1[4]

血液の異常は元に戻る。神経の障害は、多くの場合戻らない。この非対称が、この問題の重さだと思います。

■ 頸椎症と間違われます

先ほどの系統的レビューは、脊椎外科医に向けて書かれています。理由は明快で、銅欠乏性脊髄症は頸椎症性脊髄症と症状がほとんど同じだからです。痙性の四肢麻痺と、感覚性の運動失調。

つまり、頸椎の手術をしても症状が進行し続ける、という経過をたどりうる。著者らは、脊髄症の患者さんで、胃の手術歴、吸収不良、亜鉛の過剰曝露、血球減少のいずれかがある場合には、手術を検討する前に銅、セルロプラスミン、ビタミンB12を測定すべきだと勧告しています。

■ 日本ではどうなっているか

ここまで書いてきて、日本の状況を確かめないまま出すわけにはいかないと思い、調べました。結論から言うと、日本ではこの問題は16年前に片がついています。

2010年3月、ある大手メーカーが、亜鉛を含有していたクリームタイプの一製品について販売を中止し、全世界で自主回収を行いました。★2[6] 上に挙げた2008年の報告を受けての対応です。当時の国内シェアは9パーセントとされ、同社の他の製品は亜鉛を含まないため回収の対象外でした。

現在、日本で市販されているクリームタイプの主要な製品について、成分表示を確認しました。基本の構成は、ナトリウム/カルシウム・メトキシエチレン無水マレイン酸共重合体塩、カルボキシメチルセルロース、軽質流動パラフィン、白色ワセリンで、製品によってはこれにリン酸水素二ナトリウムや防腐剤が加わります。いずれも亜鉛の記載はなく、亜鉛を含まない旨をパッケージに明記している製品もあります。[7]

日本の店頭で普通に手に入る安定剤を、書かれたとおりに使っている限り、この記事で述べた問題は起こりません。

■ それでも書いた理由

三つあります。

ひとつは、輸入品や個人輸入の製品までは、この話がカバーされないことです。

ひとつは、回収の理由そのものです。当時の説明は、規定どおり使えば安全だが、中には長期にわたって過剰に使う人がいる、というものでした。問題は成分ではなく使用量だった、ということです。そして使用量が増えるのは、義歯が合っていないからです。

もうひとつは、この一件が、歯科の外で起きた報告が歯科の製品を変えた例だということです。2008年に神経内科医が4名の患者さんを診て、製品を分析した。それが2年後に世界規模の回収につながりました。私たちが日常的に扱っているものについて、私たちが気づかないことを、別の科の人が気づくことがある。そのことを忘れないために書いています。

■ 歯科の側にできること

私たちが義歯をお作りするとき、安定剤の使い方まで踏み込んでお話しする機会は、正直なところ多くありません。

ただ、この文献を読んだあとでは、少なくとも次の二つは変わると思っています。

ひとつは、安定剤を毎日、大量に、何年も使っておられる方がいらしたら、それは義歯が合っていないというサインだ、ということです。合っている義歯に安定剤は要りません。使用量が増えているなら、調整か作り直しを検討する場面です。安定剤は、義歯の不適合を隠す道具ではありません。

もうひとつは、義歯をお使いの方が、原因のはっきりしない貧血や歩行のふらつきを訴えられたときに、この可能性が頭の片隅にあるかどうかです。歯科医が診断する話ではありませんが、内科の先生に情報をお伝えすることはできます。

亜鉛が入っていないなら、大量に使っても構わない。そういう話ではないのです。

■ 分かっていないこと

上に挙げた亜鉛濃度は、2008年に米国で分析された製品の値です日本の現行製品については成分表示を確認しただけで、実測値を見たわけではありません。製品は改訂されますので、お使いのものについてはパッケージをご確認いただくのが確実です。義歯安定剤は管理医療機器に分類され、用法・用量が定められています。使用量の上限も記載されています。

また、198症例のうち39例という数字は、症例報告が集まったものです。義歯安定剤を使っている方のうち何パーセントに起こるのか、という発生率は分かりません。

それでも書いたのは、起きたときに元に戻らないからです。頻度が低くても可逆性のない害は、頻度が高くて元に戻る害とは、扱いを変える必要があると考えています。

■ 参考文献 [1]Dutta A, et al. Biol Trace Elem Res. 2026;204(9):6628-6642. doi:10.1007/s12011-026-05136-z [2]Nations SP, et al. Neurology. 2008;71(9):639-643. doi:10.1212/01.wnl.0000312375.79881.94 [3]Chen JW, et al. Spine J. 2024;24(11):2026-2034. doi:10.1016/j.spinee.2024.06.018 [4]Trocello JM, et al. Rev Neurol (Paris). 2011;167(6-7):537-540. doi:10.1016/j.neurol.2010.08.010 [5]厚生労働省. 日本人の食事摂取基準(2025年版)策定検討会報告書. 令和6年10月. [6]薬事日報. 亜鉛含有の入れ歯安定剤の販売中止・自主回収に関する報道. 2010年3月. [7]各製品の添付文書および成分表示(2026年9月時点)

この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、特定の製品の安全性や危険性を断定するものではありません。義歯や体調についてのご心配は、かかりつけの歯科医師または医師にご相談ください。

院長紹介

院長

Tatsuya Aoyama

皆さま、こんにちは。私たちの歯科医院では、患者さま一人ひとりに寄り添い、最適な治療を提供することを目指しています。
精密な技術と設備を活用し、痛みの少ない治療を心掛けています。また、審美治療やインプラント、メインテナンス、訪問診療、抗加齢医学的栄養療法など、幅広いニーズに対応できる専門的なケアを提供しております。皆さまの笑顔を守り、健康的で美しい歯を維持するお手伝いをさせていただきます。お気軽にご相談ください。

略歴

H6年3月
宮崎県立延岡高校卒業
H12年4月
国立徳島大学 歯学部歯学科卒業
H12年5月
歯科医師免許証取得
H12-15年
インプラントセンター、予防歯科医院など3件で勤務
H15年7月
瑞の木会 ローズタウン歯科入社
H22年2月
ローズタウン歯科クリニック 継承
H31年4月
医療法人 地天泰 理事長 就任

所属

  • 日本歯周病学会(歯周病)
  • 日本口腔インプラント学会(インプラント)
  • 日本顕微鏡歯科学会(マイクロスコープ)
  • International Team for Implantology(ITI) member(インプラント)
  • 日本抗加齢医学会(アンチエイジング)
  • 日本分子状水素医学生物学会(アンチエイジング)
  • 日本アライナー矯正歯科研究会(マウスピース矯正)
  • Er-YAGレーザー臨床研究会(レーザー)
  • 日本口腔検査学会
  • 浦安市歯科医師会
  • 千葉県歯科医師会
  • 日本歯科医師会
  • 学校歯科医会

資格

歯科医師、日本抗加齢医学会専門医、ITIセクションジャパンインプラントスペシャリスト認定医